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発達障害で不登校の息子が生きやすい世の中になりますように!!

不登校になり始めを考察① 小学2~3年生

小学2年生まで特別支援級に在籍し、普通級との通級で過ごしていました。1、2年生というのは定型発達の子もまだ落ち着きなく過ごす時期でもありますので、息子が時々トラブルになることがあっても他の子にもトラブルがあったため、特に問題視されることもなく、むしろ特別支援級に在籍していない子に手を焼いている様子も見られたためか、小学3年生からは特別支援級を抜け、普通級に在籍することに決まりました。

3年生になると「理科」や「社会」などの教科が増えることもあり、心配でしたが、支援級の先生全員一致のお墨付きであると言われたことや普通級でもサポートするという話を鵜呑みにしたのでした。また、普通級の担任の先生のクラスの運営がよく、息子や支援級のクラスの子や落ち着きのない子に対して、うまくサポートしてくれている印象がありました。どちらかというと支援級の先生の方がよくない印象でした。少人数しか見れない先生だったり、産休前や育休後の先生が担任になっていました。支援級の先生は「普通級に早く戻ることが目的」という考え方をしている方もいたので、疑問に思うことも多々ありました。

私自身も心配していた小学校生活がうまくいっていると安心したことや少し余裕が出来たこともあり、仕事を始めることにしたのです。

 

その後、コロナ休校になり、私は仕事をしていたため、放課後デイサービスと学童を使って乗り切りました。

 

休校が明け小学3年生が始まりました。新しい担任の先生は赴任したばかりの若い男の先生でした。休校明けの学校は、コロナ感染対策にピリピリしている様子があり、自閉症の息子にとっては、今までの小学校生活よりも緊張感があったように思います。

 

私の仕事は派遣の短時間(週5日 10-15時)勤務でした。倉庫作業を一人で担当していたため、休めないわけではなかったものの休むと代わりに事務の社員さんが処理しなければならないので休みづらい状況でした。

 

そんな中で、学校から会社へ度々連絡が入り、早退しなければならないことが発生しだしました。一番多い理由は「給食を吐き戻したので、迎えに来てほしい」という内容でした。当時は、少しの体調不良もすぐに帰されてしまうという状況でした。給食の時に体調不良になることが多く不審に思い始めました。担任の先生に話を聞くと、コロナ禍のため、黙食であることや机を班にせずにそのままの席で食べていること、先生が配膳もしているので、偏食の多い息子は量の調節が出来ていないことを知ることになりました。また、ママ友情報としてその先生は怒ると怖いらしい。「だまれ」と怒鳴ったこともあるらしく自分が怒られていなくても、自分も何か怒られるようなことをしたらと思うと、毎日ビクビク過ごしたり、困っていることを聞きづらい状況にあったのではないかと思いました。

 

先生方も感染者を出さないということに注力していたと思うので、学校全体ではそのような対応をするしかなかったのだと思います。

 

息子の「吐き戻す」にも疑問が湧きました。本当に体調不良による「吐き戻し」なのか?息子は食感や味覚に敏感なため、気に入らなければ人目もはばからず、「吐き出す」ことをするのです。それは、息子の発達障害の特性の一つのため、体調不良ではないのです。ただ、コロナ禍ではどんな形であれ「吐き出す」ことは、感染リスクを高めるため、早退になってしまうのだと思いました。

担任の先生との話の中で、「息子が吐き戻したときに、クラスで『汚い』などの言葉が飛び交いざわついたらしく、言った子にはきちんと注意した」ということを言われました。そんな雰囲気の中で息子はどんどん給食を食べることに拒否反応が出るようになってしまったのだと思い始めました。

対策として、「別室や保健室で食べること」を提案してみましたが、「見る人がいないのでできない」、「お弁当を持参すること」も「他の子から言われるのでやめた方がよい」と一刀両断されました。この回答から教頭先生や校長先生に聞くこともなく担任の先生の判断で決めていることへの不信感が湧きました。「それでは学校は休むか給食を食べずに早退する」ということしか言えませんでした。そう言うと先生も慌て始めました。先生はどうしたら給食を教室で食べられるのかを考えてほしいようでした。その時考えたのは、献立表に減らしてほしい品目に印をつけて、先生へ渡すことで、当日の配膳の時に印のついている品目を減らしてもらうこと、また、残さないで食べることを強制しないことを実践することにしました。

 

保健室に迎えに行ったときに、保健の先生との話の中で、「給食を保健室で食べることは出来なくはない」という話があったので、担任の先生への不信感は一層募りました。ただ、この時担任の先生を超えて教頭先生へ連絡することはしませんでした。それは担任の先生の対応について、信用していないということを暗に意味してしまうと思ったからです。その後の関係性でもぎくしゃくしてしまうのではと恐れてしまったのです。今となって思えば、この時に教頭先生へ話を通しておけばよかったなと思いました。この時の対応のことでは頭によぎったのに対応しなかったことで悔いが残っているからです。例え、結果が同じであろうともベストを尽くせば悔いは残らないのです。

 

ブログの更新が出来ない私も発達障害・・・  ブログを再開したい新たな動き

ブログの更新が出来ないまましばらく経ってしまいました(-_-メ)

 

原因の一つとして、私はADHDの傾向があり、飽きっぽく、他の趣味にハマってしまったことで、その趣味へ過集中してしまい、全くブログに興味がなくなってしまったことがあげられます。

もう一つは、幼稚園の頃から遡って書き起こしていたのですが、すっかり忘れてしまっていることもあり、思い出せない部分もあってブログを更新できないということもあげられます。

お金を稼ぐツールとしてのブログではないので、飽きたらやらなくなってしまうというのは私の性分です(-_-)

 

そんな私がブログを再開しようと思ったのは、新たな動きがあったからです。

 

現在の息子は小学5年生が終わろうとしています。学校とフリースクールのハイブリッド登校を2年弱続けていたのですが、一つの区切りとして、フリースクールを辞めたことです。フリースクールでの対人トラブルが続いていたこともあり、発達障害のある息子にとって、フリースクールへこのまま行っていてもいいのか疑問に思ったことがきっかけでした。突然、終わりを迎えたフリースクールのことで、息子は大パニックに陥りました(+o+)

本当は、徐々にフリースクールの日数を減らしながら、学校への登校数を増やして辞めるつもりでしたが、「偶然にも」今学期の最終日にトラブルの件で面談することがあり、意見が合わなかったため、辞めるに至ったのです。「偶然にも」と書いたのは、辞めるべき時なのではと自分で感じたためです。

 

息子の不登校の記録として忘れてしまわないように、また一例として他の不登校の子の参考になればと思い、ブログの再開をしようと思いました。(再び飽きて更新できなかったらすみません…)

 

次回からは、近況のことをブログに綴り、必要に応じて思い出せる範囲で遡った内容のブログを綴っていけたらなと思っております。

 

 

 

 

 

 

 

併用通園やってみる

幼稚園と発達センターへの併用通園を模索していましたが、混乱するという理由から幼稚園へ週5で通い月1~2日専門職指導を利用する方向に決まりかけました。夫も心配な状況ではあるが幼稚園に入園して間もないこともあり、自主退園することには賛成していませんでした。

私は、療育が月1~2日で本当に大丈夫なのか心配でした。今となってみれば、療育を多くすることが良いとは思っておりませんが、幼稚園生活がスタートしたことで焦りもあったと思います。

 

毎日のように何か策はないかとネットで情報を集めました。近隣の他市ではありますが、民間の療育機関を見つけました。そこでは幼稚園の後に週1回の療育の場を提供していました。発達センターよりは頻度が高く、幼稚園の後に療育が出来れば幼稚園を休まなくて済むので、連絡し面談に行くことにしました。

そこでは、入会することが前提でないと実際の活動を見ることが出来ませんでした。理由は突然、知らない人がいると利用者の中に特性としてパニックになる子がいるからだそうです。面談して分かったのですが、幼稚園の後の療育ではなく、1日がかりだったので、結局は幼稚園を週1日休まなければならなかったのです。

そこへは様々な近隣の市から療育に来ているようでした。そこに通うには車で行くのに少し時間がかかり、車の運転が得意ではない私にとって億劫に感じましたが、他に方法がないなら仕方ないかなと思いました。

 

他市にある民間療育についても考えていることを幼稚園へ連絡しました。すると、園長先生がそれだったら、同市の発達センターの方が連携がとりやすいのでそうして欲しいということになり、発達センター週2日(月・火)幼稚園週3日(水・木・金)で併用通園をやってみることになり、年少の6月から併用通園が始まりました。

 

発達センターへの通園を始めて、メリットと思えたことは、「息子の困っていること」について気軽に相談できることでした。そのことについて担当の先生が、支援計画を長期的な目標と短期的な目標を決めて、支援してくださり、定期的に目標が達成できたかどうかを話し合い、次の支援計画を立てて指導してくださるので、今まで一人で悩んできた育児の悩み事をたくさんの専門知識のある人からアドバイスをいただきながら、一緒に育ててくれているという実感がありとても心強く感じました。

もう一つは「親の会に入会したこと」です。同じ悩みを持つママたちと繋がれたことに安心しました。幼稚園や支援センターで知り合ったママたちには、子どもの発達の遅れについて悩んでいることを相談しても「大丈夫だよ、普通じゃない!?」「そのうち出来るようになるよ」などと言われることも多く、実際、もし発達障害では?と思った人がいたとしても、「発達センターに行った方がよいよ」などとアドバイスをしてくれる人はいないし、もし、自分が逆の立場だとしても同じように「大丈夫だよ!」と言ってしまうと思います。

 

発達センターへの通園を始めて、デメリットと思えたことは、幼稚園へ毎週2日休むことになったので、「幼稚園の子が不審に思わないか」ということでした。同じバス停の子のママには発達センターへの通園に行くのでいないということを伝えていたのですが、クラスの子のママたちには何も伝えていなかったので、息子が毎週休んでいることを不思議に思う発達の早い子供たちやそのママたちから、なぜ幼稚園に来ないのかと聞かれたりすることに疲弊しました。

もう一つは週2日幼稚園を休んでも幼稚園へ支払う月々のお金は変わらなかったっことです。

それともう一つは発達センターでは預かり保育がないので、用事があっても預かってもらえないということです。日中一時支援を使うことで民間の療育機関に預けることも出来るということはのちに知ることになりましたが、急な用で少し長く預かってほしいというときには幼稚園の預かり保育は助かりました。

 

 

 

幼稚園と発達センターの併用通園はできるか?

大いに不安ばかりが募る幼稚園での生活が始まりました。

幼稚園へはバスで通うことになっていて、園が指定したバス停留所まで歩いていき、そこからバスに乗って幼稚園まで連れて行ってくれることになっていました。

息子が乗るバス停はもう一人同級生の女の子と一緒でした。その子は3人兄妹の3番目のお子さんでした。お母さんはとても感じがよく、その幼稚園へ通うのも3人目だったので、親身に相談に乗ってくださり、初めての幼稚園で不安もたくさんあった私にとって、頼もしい存在でした。

 

幼稚園が始まると園での様子を知る手段がなく、どんな風に過ごしているのか全然わかからないまま申し込んでいた発達センターへの面談の日が近づいてきたので、園での様子を教えて欲しいと担任の先生へ頼んでみました。そうすると、やはり補助の先生が付いてお世話してくださっていることを知ることとなり、申し訳ない気分でいっぱいになりました。その幼稚園の年少クラスは大体1クラス13~15人の中に担任の先生と補助の先生の2名が配置されます。担任の先生は新卒で入社したばかりの新人先生と補助の先生は経験豊富な年配の先生でした。

発達センターの面談では、幼稚園へ行ってることもあり専門職指導のコースのみを利用する形で話は進んでいましたが、幼稚園生活で集団行動や身の回りのことが全くできず、補助の先生が息子にほぼ付きっきりでお世話している状況がとても心配だったため、幼稚園への入園を後悔していることも相談しました。当時もネットで情報取集をしていて「幼稚園と発達センターの併用通園」を利用していた人(他の市区町村)のブログなどを閲覧し、そういう方法もあることを知っていたので、センターの先生にもそういうことができるのかどうか聞いてみました。「できないことはないが、幼稚園とセンターでやり方が違うことでかえって混乱することがあるのでお勧めしていない」と言われました。

センターからの面談が終わり、帰宅。「センターと幼稚園を併用通園することは混乱するのでお勧めはしない」と言われてしまったことと幼稚園から聞いた息子の様子を合わせて思い悩みました。このまま幼稚園生活を送ることについて、補助の先生が息子に独占状態で付いている状況は他児も園生活が慣れない中でとても迷惑なことのように思えました。

幼稚園へ報告のため電話した時に、「ご迷惑になるので退園し発達センターへ転入しようか悩んでいる」旨も伝えました。園長先生は、「退園」と聞いて驚き、後日面談をしてくださることになりました。まだ、入園から1週間しか経っていませんでした。幼稚園の面談では、幼稚園の現在の様子や私の心配や不安について相談しました。併用通園については、出来ないことはなく、その幼稚園ではかつて1人だけ利用したことがあるようでした。「月・火曜日:発達センター」と「水・木・金曜日:幼稚園」と、なるべくまとめて利用することで混乱を少なくすることもできるのではと言われました。私が思い悩んでいる様子もあってか、園長先生から発達センターへ連絡を取ってくださることとなりました。

 

園長先生はとても親身になってくださいました。これまでたくさんの園児と触れ合ってきた中で、「今、その子にとって必要な支援」について語ってくれていたと思います。

私の支援センターで知り合った言葉の遅れのある子について入園を拒否した理由は残酷に思い、切り捨てているのではと思っていましたが、全く逆で、その子のために親身になって言ってくださっていたことを幼稚園での生活を送ったり、療育に通うことになってから身に染みて思い知らされました。

その後、発達センターの通園の体験入所へ行きました。

発達センターで最初に気づくのは、視覚的に配慮されていて、気の散る掲示物はなく、先生の指示や課題へ集中しやすい環境になっていたことでした。

 

印象的だったことは、「着替え」という課題をそれぞれが取り組んでいたことでした。

「カバンから服を出す→服を着替える→脱いだ服をたたむ→その服をカバンへしまう→カバンをロッカーへしまう」という一連の動作について、幼稚園では当たり前のように一瞬で終わってしまう動作なのですが、センターではその子に応じた支援(声掛けや手助け)を丁寧にそれぞれの発達に合わせて取り組んでいました。

 

幼稚園では最低限、「身の回りのことが自分で出来ること」については「出来る」というのが前提条件のような形であったと思います。なので、一定条件に達していない子供について、私立幼稚園では先生の人数や状況に応じて拒否することも出来るのだと思います。センターで、身の回りのことを丁寧に指導してくださることはこの時の息子にとって必要なことのように感じました。身の回りのことについて出来るように一般的な子育て方法で教えてきているつもりでしたが、息子には身についていなかったのです。それは私自身の責任のようにも思え、子育てへの自信をなくさせるものでした。当時は息子が発達障害であることを認めたくない気持ちもありながら、情報収集していくと、早くから療育を始めた方が社会適応にも良いということを知ったので、すがる気持ちで発達センターでの療育をはじめたいと思っていました。

 

発達の遅れと幼稚園に入園するまで

たくさんあるので何から綴ろうか悩みますが…

まずは「発達の遅れと幼稚園に入園するまで」について

うろ覚えながら綴ってみます。(7~8年前のことなので(*_*;))

 

現在、息子は小学5年生です。

自閉症スペクトラム障害高機能自閉症)と診断名をつけたのは5歳の時です。

 

1歳半健診の時に言葉の遅れがあり、様子見になりました。2歳で再健診したときにまだ発語がなかったため、「親子教室」と呼ばれる保健センターで発達の気になる子向けの教室を案内されたのですが、自分の中ではなかなか受け入れることができなくて、その時は行きませんでした。その健診の後から、言葉が出るようになったのもあったのですが…

 

息子は3月生まれのため、幼稚園の年少から入園させるためには、2歳から幼稚園選びをしなければならなく、候補の幼稚園のプレ幼稚園に通わせてみることにしたのです。そこで集団行動ができないことや、他の子との差を少しずつ感じ始めました。成長には個人差があるので、何とも言えないのですが、他の子とは何か違う…

現実を受け入れたくない思いも強く、このまま無事に幼稚園に入園できるのかなという不安、心配、焦りはあったものの、日々のものすごく大変な子育てと家事の中でとても孤独だったことを覚えています。

 

入園させたい幼稚園の説明会に出たときの資料に「発達に気になる点がある方は必ず相談してください」という文言があったので、入園できなくなるかもしれないという思いもあったのですが、知らんぷりして入園させて退園させられたらその方が問題だという思いもあり、園と面談してもらうことになりました。

 

面談では、「入園はできるけど、親子教室には行った方がよい」というアドバイスをいただき、少しホッとしたことを覚えています。

 

もちろん、年中から入園させる2年保育の方も少数はいるのですが、年少から入園させる方が多数であり、なんとなく波に乗らないとという思いと、四六時中息子といることがとても大変だったので、育児から離れる時間が欲しいという思いも強かったのです。

 

その後、保健センターへ連絡をとり、「親子教室」へ通い始めました。行ってみたら、思っていたより、多くの方が参加しており、2歳健診で勧められたときに意地を張らずに行き始めてればよかったなと思いました。

 

地域の支援センターにもなるべく通うようにしていたのですが、その時に、知り合った息子と同じ学年のお母さんも言葉の遅れを指摘されて悩んでいて、そのお母さんとは同じ悩みを持ち、なかなか受け入れられないという同じ境遇の中で、私の中ではとても心強い存在でした。

 

幼稚園については2つの候補があったのですが、面談してない方の幼稚園では、前期のプレの最終日に入園できるか聞いたところ、「来年まで待って、2年保育でもいいのでは?」と言われショックを受けたことを覚えています。

面談を受けた方の幼稚園では入園許可がおりたのですが、プレの最終日に封筒を手渡されました。何が入っていたかというと、「発達センターの案内」でした。すごくびっくりしたのと、ショックだったのとを覚えています。

実は、前述した支援センターで知り合った言葉の遅れを指摘された子は、その幼稚園の入園を断られていたのです。その子のお母さんは、他の園も探しましたが最終的に市の「発達センター」へ行くことに決めていました。

 

途端に、とても不安になりました。発達センターの案内を受け取ったのが、3月のことだったのですでに入園準備もしていて、「うちの子、入園して本当に大丈夫なのかな…」という思いでした。

 

市の発達センターは、通園指導と専門職指導があり、通園指導の方は、幼稚園のように預けて集団生活の基礎や身の回りのことをできるように指導してもらうところ、専門職指導は心理指導や作業療法、…etc、時間予約制で月に1~2回45分間、専門的な知識のある先生からマンツーマンで指導してもらうことができるところです。

 

幼稚園の園長先生は月に1~2回専門職指導の方を利用することで、発達の遅れについては専門的な指導を受けた方が幼稚園生活もよりよくなるのではという思いであったと思うのですが、私は、入園を辞めて発達センターの通園指導に通った方がよいのではないかという思いに苛まれることになりました。

 

しかしながら、もう入園が迫っており、今さら園にも夫にも「幼稚園の入園を辞め、発達センターへ通わせる」と言えないでいました。発達センターへ問い合わせた時に3月だったため、人事異動などがあり、来月(4月)にならないと面談できないということにもなっていたため、幼稚園の入園を辞めても、発達センターへ通うこともできるかわからない状態でもありました。

 

そんな不安を抱えながらも幼稚園の入園式を迎え、幼稚園生活も始まったのです。

 

はじめまして

はじめまして。興味を持ってお読みくださりありがとうございます。

 

「ブログやってみようかな!?」と思ったのは数年前ですが、ようやく始めることとなりました。面倒くさがり屋なうえ、あきっぽいので続くかは不明ですが、よろしくお願いします。

 

私はアラフォーの専業主婦で夫と一人息子の3人暮らしです。

 

なぜこのタイミングで始めることにしたのかというと、発達障害のある息子が数年前から不登校気味になり、その経緯や思いを綴ることで同じように困っている人の何かヒントになってくれたらいいなという思いと発達障害不登校で困っていることを世間に周知したい思いがあり、教育や社会を変えるきっかけとなればいいなと思ったからです。

 

今や、ネットでたくさんの情報を得ることが出来るので、私も息子と同じようにYouTubeをたくさん視聴しています(笑)

家事をしながらの流し見が多いのですが、とても勉強になっています。一昔前では講演会や講習会に行って、お金を払って聞けるような著名人や有識者の方々のお話を家事をしながら流し見できるってすごい時代ですね。そうやって学び直しをしているうちに、「あれ?もしかして常識と思っていたことがそうではないのでは?」「政治を変えることでもっと生きやすくなるのでは?」と思うようになりました。

 

と思いはしたものの、政治に興味関心もなく日々の暮らしにいっぱいいっぱいの自分に何が出きるのかなといえば、選挙で投票することしか思いつきませんでした(^_^;)

「自分が投票したくらいではどうせ変わらないよ!!」そう思ってはいたものの「行かないよりは行った方が可能性はある!!」と思い直し、7月の参院選へ投票へ行くことにしたのですが、日々の生活に追われていると各政党がどのような公約を掲げているのかよくわかぬまま選挙当日になってしまいました(汗)

慌てて選挙公約を比較したサイトの一覧を見て決めようと思い調べました。一覧になっていると違いがよくわかり便利ですね(^-^)

 

今までの選挙では用事があって投票に行かなかったり、忘れてしまったりや行ってもどんな公約があるのかよくわからないままメジャーな政党に投票してしまっていたので、今回、自分の意見と一致している政党に投票するという大切さを学びました。

 

↓選挙当日参考にした公約比較サイト

参院選2022の各党公約を一覧で比較!政策・マニフェストから投票先を選ぼう|第26回参議院選挙 政党公約比較表 | 日本最大の選挙・政治情報サイトの選挙ドットコム (go2senkyo.com)

 

結果、変わらなかった政権でしたが、次の選挙の時も自分の意思を反映してくれる政党へ投票できるようこれからも政治や社会に興味関心を持ち続けていきたいと思います。